焼き肉を出た僕らは近くの炉端焼きに移動した。平日の10時を過ぎたのにも関わらず、店内はほぼ満席。カウンターに2つ空きがあり、案内してもらった。
目の前で炉端焼きが見れる特等席だ。今度は焼き肉の時と違いカウンター席。妙なもので隣り合って話すだけで心の距離感も縮まった気がする。
僕らはまたお互いのことを話し始めた。いや、彼女のことを知りたくて質問し続けていたのかもしれない。彼女から返される答えは予想を超えており、僕の知らない世界だった。
興味は更なる質問を招き、質問は新たな発見を生み出す。彼女の人柄、人生、生き方、考え。どれも面白かった。今まで出会ったことのない女性だった。
この頃になると酔いも回り始め、話題のネタも下世話になってくる。そんな話題も笑顔で応える彼女にますます好感を抱いた。
いつの間にか店は閉店時間。店内には僕らを含め、3組だけになっていた。
会計を済ませ、店を出る。もうとっくに終電時刻は過ぎていた。彼女を家まで送るためタクシーを呼び止める。
途中コンビニで停車してもらい、温かい飲み物を二つ買った。
2月の夜中は冷える。酔い覚めならなおさら寒さが堪える。
タクシーに戻り飲み物を渡す。
『この前と同じだね。』
『飲ませ過ぎたからね。』
『優しいな。ありがとう。』
タクシーの中では性癖の話をした。彼女によると誰でも特異な性癖を持っているとのこと。
僕はノーマルだと思っていると伝えると、絶対変な性癖がありそう。確かめてみなくちゃねと意味深げな発言をした。
彼女の家の最寄り駅でタクシーを降りた。時間は午前2時。
『これからどーする?』またも意味ありげな発言。『この辺あんまりお店無いんだよね。』
『カラオケにでも行く。』駅前にデカデカと掲げられた看板を見て伝える。
『二人でカラオケ?うーん。。。』良い返事が返っては来なさそうだった。
『居酒屋で飲み直す?』
『うーん。。。』これまた当たりが外れている感覚。
どうしようか悩みながら歩いていると、小さな看板を発見。
『マジックバー。』二人で声を合わせて読み上げる。これだって思った。
看板の向こうには地下に通じる階段。何か期待感をくすぐる雰囲気にお互いの了承を得ずとも二人して階段を下りた。
薄暗く広い店内には、3組くらいのサラリーマンがお酒を飲んでいた。カウンターに2組とテーブルに2組。
店の奥の窪んだ壁に丁度収まるように置かれたソファ席に案内される。
座ると左も右も、後ろも壁。目の前には膝の高さほどのテーブル。店の一部分は見えるが、カウンター席やテーブル席からは見えない構造になっていた。
カップルだと思ったマスターが気を利かしてくれたのかもしれない。
僕はキューバリバー、彼女は赤のワインを注文した。お腹は満腹だったが何かつまみが欲しかったので、チーズとピスタチオを頼んだ。
ほどなくして飲み物とアテがテーブルに届けられた。本日3度目の乾杯。
まったりとした時間が過ぎていく。
僕の好意に彼女は気付いている。そう確信していた。しかし、彼女がどう思っているかは分からなかった。
もちろんこんな時間まで一緒にいるってことはそれなりに好意はあるのだろうけど、それが友情を超えるものなのか確信が持てなかった。
僕が彼女の反応を注視していると、女性マジシャンがやってきた。さすがマジックバー。マジックは無料サービスらしい。
目の前で繰り広げられるテーブルマジックに二人で年甲斐もなくはしゃいだ。
こんな付き合いたてのカップルみたいなデートは久しぶりだった。楽しかった。
マジックに満足し、腕時計を見ると針は3時半を指していた。
『そろそろ帰ろうか。』
店を出て歩き出す。楽しい時間が終わってしまうのが辛かった。僕は足を止めた。
一段高い位置を歩いていた彼女が振り返る。
『もっと一緒に居たい。』本心が口からこぼれていた。
彼女は駄々をこねる子供に困っている母親のような顔をしていた。
彼女はゆっくりと近付くと、肩に手をかけ僕の顔を引き寄せキスをした。
彼女の唇は濡れていて、夜風で冷たかった。柔らかな肉の感触。
風にロングヘアが吹き乱れ、色っぽい香りが鼻をくすぐる。
僕は彼女を抱きしめた。見た目以上に細いウエスト。胸のふくらみが当たっている。僕はさらに彼女を抱き寄せた。
顔を離し、もう一度、今度は僕からキスしようとすると、彼女はスルりと僕の腕の中から離れて行った。
『旦那に見られるかもしれない。』
確かにここは彼女の住む街だ。しかも場所は駅前の大通り。深夜とはいえ可能性はある。
周りを警戒し、安心した彼女は僕に笑顔で言った。
『今度はもっとエッチなことしようね。』
タクシーが停車している場所まで手をつないで一緒に歩く。50m位の短いデート。
1分程度の時間が無限に感じられた。
タクシーまで5m。我慢できなかった。僕はもう一度彼女にキスをした。さっきよりも激しく、情熱的なキスを。
二人の舌は生き物のように互いの舌を求め絡み合った。
タクシーに乗っても彼女が頭から離れなかった。
歩いて帰ると言った彼女が心配で電話を掛けた。
5つ目のコールで彼女が出た。
『どうしたの?』
『心配だから電話した。』
『もう着くから大丈夫だよ。ありがとう。』
『家の近くに着くまでは切らないでね。』
『わかった。本当はさっき変な人が付けてきてて怖かったの。今日はありがとう。』
彼女の声が心を満たしていく。さっきまで一緒に居たのに、もう会いたくなっていた。
忘れていた。これが恋なんだ。
『家に到着しました。旦那さんはたぶん寝てるかな。じゃ、また今度ね。』
次はどこに行こうかな。彼女との楽しい日々を思い描くとニヤけてきた。
タクシーは高速を降りてわが家へと向かっていた。
そう。僕は父親であり、妻帯者だ。恋人との甘い余韻に浸り続けるわけにはいかない。
頬を叩いて気持ちを入れ替え、家族が眠る家の扉を開けた。